マサ大竹さんの特別講座 ~高校生のシゴト塾~
美容業界の先駆者が高校生に送る!!
1976年、パリコレで日本人初のヘア&メーキャップを担当。
その卓越した美容技術、感性、表現力は
世界で高く評価され活躍しているマサ大竹さん。
「努力は天才に勝る!
その時その時の努力こそが美容人生のベースになった」という。
今回は、資生堂美容技術専門学校の学校長でもある
マサ大竹さんを塾長にお迎えして特別講座!
美しい女優さんが登場する「資生堂TSUBAKI」のコマーシャルやポスター、
「マキアージュ」の広告、テレビで、雑誌で、電車の中で、資生堂の広告を目にしない日はないだろう。
実は、資生堂のヘア・メーキャップアーチストたちが
あの美しい広告の女優たちのヘア・メーキャップを担当している。
自らも資生堂の、そして世界のトップヘア・メーキャップアーチストでもあり、
数々のアーチストたちを育ててきた美容師「マサ大竹」さん。
1976年、日本人初のパリコレでのヘア・メーキャップを担当するなど、
その圧倒的な技術やセンス、表現力で国際的に高く評価されているマサ大竹さんですが、
物心がついたときには絵を描くこと、美しいものを作ることが好きで、
そこから「美容」の世界に自然と進むことを考えたとか。
まさに「好きを仕事に」のお手本。それはどのようにしてかなったのでしょうか?
ー美容の世界に対して興味を持たれたり、
将来のことに目を向け始めたのはいつ頃からですか?
小さい頃から絵を描くのが好きで、
「自分は絵がうまい方だ」と思っていました。
同級生にも「絵がうまいね」と言われていましたし、
校内で表彰されたりもしていましたね。
中学、高校と美術クラブに所属して、
毎日黙々と絵を描いて満足していましたし、
高校も新潟県では進学校で、
自然な流れで美大に行き、
将来は画家にでも・・・
と漠然とした夢があったと思います。
しかし、それと同時に
自分はどうやって将来の「生活」をして行けば良いのだろうか?
と現実的な考えがあったのも確かです。
世の中には自分よりもずっと
絵がうまい人たちがたくさんいることも知り、
絵を描くことで生計を立てられるくらいの才能があるか?と不安でした。
そんな高校2年生の進路決定を迫られる時期に、
家に届いた進路情報誌の小さな男性美容師のコラム記事を読んだのです。
今考えると、私にとってこの記事が美容の仕事に進む最初のきっかけです。
田舎育ちの私にとって、その「東京の男性美容師」の記事は新鮮に目に飛び込んできました。
今でこそ男性の美容師は珍しくないのですが、
40数年前の田舎では美容師と言えば、町の美容院のイメージで、美容師は女性の職業というのが普通。
ですが私は「男性の美容師が東京にはいるんだ、こんな仕事もいいかもしれない、
その道の仕事をしてみようかな?」と思ったのです。
調べてみると、姉の友人が東京の六本木にある美容室で美容師として働いていたので、
「有名人が来てすっごいヘアスタイルにしていくんだ!」と情報が入ったりして、
「そんな世界もあるんだぁ」と思っていたことも影響したと思います。
もともと美しいものを作ることや美しい絵を描くことが好きだったわけですから「美容」とつながったのでしょうね。
それで、美大への進学ではなく、美容師への道へ踏み出す決心をしたわけです。
ー資生堂美容学校に入学なさっていますが、
選んだ理由はありますか?
「どうやったら美容師になれるんだろうか?」と調べ、
まず美容学校へ行き資格を取らなければいけないことを知ったのです。
学ぶなら「やっぱり東京の美容学校に行こう」
と決めたのはいいものの、
どんな学校があるか分からない・・・。
なかなか気恥ずかしくて美容師になりたいとは
言えなかったともあり、先生にも聞けず。
そこで私は書店で美容専門雑誌を探し、
その一番後ろに書かれている雑誌発行元に情報を聞くことに。
雑誌社はすぐに東京の美容学校を私のために
リストアップして送付してくれたのです。
たくさんの美容学校の中に、
「資生堂美容学校」の名前がありました。
当時から資生堂の広告やポスターは
高校生の男の私から見ても衝撃的で、オシャレで、
そしてとても洗練されていて、
資生堂の花椿という雑誌の中のキレイな広告をよく目にしていたこともあり、
「資生堂の美容学校しかない!」と迷うことなく決めたのです。
あの時、資生堂美容学校を選んでなければ、今の自分は絶対にないでしょうね。
だから、とても良いチョイスを私はしたと思っています。選んだ環境が自分と上手く調和したと思います。
ーいつからヘア・メーキャップアーチストを目指したのですか?
学校に入った頃にはその先どうするのかということは全く考えていなく、
「美容師免許を取って、美容師として美容院に勤めよう」と思っていました。
学校に入ってしばらくたつといろんな情報が耳に入ってきて、
ある時、資生堂美容技術研究所というところに、
資生堂の広告やポスターなどのヘア・メーキャップを手がけている人たちがいることを知ったのです。
インターンとしてその資生堂美容技術研究所に行けるのは学生から年に数人でしたが、
「資生堂の広告に一歩でも近づきたい」という思いで志願し、選抜されました。
資生堂の広告にヘア・メーキャップで携わることを目標に、
資生堂のサロンで美容師として経験や知識を積んでいったわけです。
この18歳から20歳くらいの期間の努力が実を結び、今を形成できたのだと思います。
ヘア・メーキャップに興味を持ったのは、「創造性=クリエイティビティ」が大きく要求されるということでした。
好きである絵を描くことも根底では同じように、
ヘア・メーキャップは何もないところから人が考えつかないような創造をすることで、自分を表現します。
そして、表現したもので自分を認めてもらうことができる私にとって唯一の方法でした。
それが一番の心の支えでもあった。
そうしていることで満足したり、心が休まったりする。
もうこの道だという思いだけで、突き進み、あとは自分の創造力の限界へのチャレンジでした。
仕事では常にこのクリエイティビティにおいて他の人に負けない努力をいつも実行してきたつもりです。
ーヘア・メーキャップアーチストとしてお仕事をされるようになるまで、
マサ大竹さんの中で何か変化はありましたか?
資生堂という大きなブランドの中でサロンワークをしていたときに、
だんだんと変化もなくなりプライドばかりが大きくなっていった頃もあったんですね。
自信を持つことは大切なことでもあるのですが、
勘違いをして偉ぶるとその時点で成長しなくなるもの。
そんな私の様子を心配して先輩からセットアップコンテストへ出ることを薦められ、出場した経験があります。
コンテストの結果に愕然としました。入賞など全くできなかったのです。
もう、くやしくてくやしくて。その経験が私に火をつけ、
「出ると負け」を繰り返しながら、優勝するまでひたすら努力をしました。
優勝した私は、日本代表としてニューヨークの世界大会に出場。
今度は、世界のレベルとの差を痛感して、さらにセンスを磨き、技術を磨く努力を実行していったのです。
この時の努力が間違いなく私の美容人生のベースになっています。
それからは、会社の上司や、恩師が仕事で私にいろんなチャンスを与えてくれました。
チャンスを与えられたのは、自分がまだまだ未熟であることに自ら気がつき、
常に努力を怠らない姿を見てもらっていたからだと思います。
若いうちから資生堂の数多くの広告の仕事に携わり、
私など普通なら一緒に仕事できないような超有名な方ともたくさん仕事をさせていただきました。
仕事ひとつひとつをチャンスだと思い、「次も大竹と仕事をしたい」と言ってもらえるよう必死でした。
この時わかった事は、自分ひとりで完結する仕事などなく、まわりの力があって初めて完成すること。
出会った人との縁を大切にしていることで、チャンスはどんどん広がり、
ロンドンでの初めての海外ショーに始まり、数々の国際舞台でのヘアショー、
さらに1976年にはパリコレでのヘア・メーキャップ、
1984年ニューヨークのカーネギーホールでのヘア・メーキャップショーなどの
仕事の機会をいただけたと思っています。
近年では今までの美容業界での功績を評価していただき、天皇陛下より黄綬褒章までいただくことができました。
ー努力は報われるということですね。
そうだと思います。才能が私に特別あったわけではありませんし、
技術やセンスが最初からあったわけでもないのです。
今輝いているヘア・メーキャップアーチストの後輩たちも同じです。
世の中で注目されるどんな人も、裏側でたくさんの努力をしているのです。
そして、その努力が実を結び、地位や名誉を得て、成功しているのです。
私の経験からいうと特に美容の世界では、「努力は天才に勝る」といえます。
技術は練習すれば必ず身につくし、美容において重要な美を見抜くセンスは鍛錬すれば、磨かれるわけです。
ーどんな人が美容の仕事に向いていると思いますか?
美容の仕事は人に接する仕事ですから、信頼感が必要です。
特に、おもてなしの心を持っているということ。
カットでもパーマでも、きれいに仕上がったときにお客さまといっしょに喜びを共感できるということや、
創造性(クリエイティビティ)の精神があること。
私がそうだったように、話すことがそんなに上手くなくとも、
気持ちが伝わるような人間であることでしょうか。
これらができると思うなら、多少不器用でもきっと向いている仕事だと思いますよ。
左上) 資生堂学校に入学するために上京した当時
右上) 映画「ベルサイユの薔薇」での仕事。ベルサイユ宮殿にて女優さんのヘア・メーキャップ
左下) 2008年、ブラジルで行われた世界大会。4年に1回行われる大会で、5回連続の日本代表
右下) NYカーネギーホールでヘア・メーキャップショーを行ったときの雑誌記事。
ーこれから美容業界を目指す若い人たちに伝えたいことはありますか?
資生堂美容技術専門学校の学校長として、
学生には、特に「すぐに諦めない」ということを経験の中から伝えています。
ちょっと上手くいかないから、ちょっとチャンスにめぐり合わないからと言って、
まだ何もわからないうちに美容の道を諦めてしまうのは大変もったいない。
石の上にも三年。冷たい石も三年間上にいれば温かくなるものです。
美容のことが好きで、せっかく選んだ道なのだから、まず飽きるほど努力をしてみてほしい。
好きこそものの上手なれ。好きなことに努力をし続けることは、光をもたらすのです。
社会に出て働くようになれば、上手くいかないことはたくさんあります。
これからは、それを乗り越えて行ってもらうためにも、
美容業界へ入る学生には心身ともに強くなってもらいたいと思います。
ー最後に、マサ大竹さんから高校生にメッセージをお願いします。
「初心忘るべからず」。
-物事を始めるときの自分が目指した気持ちを大事に-
と一般的に理解しますが、
そのもっと深い意味は、
最初にどれだけ自分が未熟だったかを覚えておき、
そしてその努力の過程も覚えておくということ。
そうすれば同じ過ちを
繰り返すことがないということにもなるのでしょう。
そして、上達する段階においても
努力を怠ってはいけないということ。
最後は、達人になったとしても、
それで「良し」とする到達点はなく、
その時点で新たな初心があるということなのです。
己の未熟さに早く気づくこと、そして常に努力をすること、
自分にはまだ足りないものはあると謙虚な姿勢でいることが、
皆さんを前進させ、いろいろなことを可能すると思います。
ーありがとうございました。
【Profile】
(学)資生堂学園 資生堂美容技術専門学校 学校長 兼
資生堂美容室(株)副社長。
1948年、新潟県三条市生まれ。
本名 大竹政義。資生堂美容学校卒業後、美容師資格を取得し(株)資生堂に入社。
ヘア・メーキャップアーチストとして広告宣伝・花椿誌や国内外のコレクション活動に長年携わる。
日本人初のパリコレでのヘア・メーキャップを担当、
NYカーネギーホールでのヘア・メーキャップショーの他、国際的なショーに数多く出演。
資生堂ビューティークリエーション研究所長、SABFA校長を経て現職。
美容の第一人者として幅広く活躍。
2004年「卓越した技能者ー現代の名工」、2008年春「黄綬褒章」を受賞。